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不動産業の新入社員。雑記ではありますが、読者に新しい知見をもたらすことを目的としています。

陽キャと陰キャの本質は同じである

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日本国憲法では人間は平等だと言っているが、現実では目に見えない階級というのが多く存在している。

どなたでも想像しやすいのがスクールカーストだろう。クラスの人気者と陰気なぼっちが共存する学校である。当然、前者の方が学級内での身分は上でより大きな発言権を持つ。


職業に貴賎はないと言うが、一般的に医師と清掃員では前者の方が社会的な身分は上だろう。


正社員>非正規社員、男尊女卑、お客様は神様など、目に見えないカーストに過剰に反応している人が多いように思う。




今回の記事ではスクールカーストの中で対極に存在する陽キャと陰キャの同質性について考えてみよう。



陽キャ:学級内での発言権があるようなクラスの中心人物をイメージ。陽気なキャラ。
陰キャ:学級内での存在感がないような打ち上げに誘われない人物をイメージ。陰気なキャラ。



結論から言うと、両者とも公的な空間と私的な空間の区別が出来ていない。


公的な空間ではある程度の協調性が求められ完全に自分らしく振る舞うことは出来ない。
一方で、私的な空間では他人に気を使う必要がなく素の自分で居られる。



本来、学級は公的な空間である。生徒が集まって学習する場だろう。


自分の思った通りの言動をしていいのは、家族や友人、恋人との間だけで私的な空間に限られるはず。



この公的/私的の境界線を陽キャと陰キャは区別出来ていないように思える。

陽キャは私的空間を学級にまで拡張してしまっていて、陰キャは自分の部屋にまで収縮してしまっているのではないか?


こう考えれば、集団で強調して学習するという学校の目的を達成できない人達の言動が説明できると思う。



公的な空間=社会が存在するのは人間だけだろう。おそらく、人間以外の動物には社会というものはないはず。


なぜ公的な空間を嫌うのか?
母子密着の子育てが影響したのか?



まったくわからない。
自分の子供が適度に社会に適合できるように、子育てや発達心理学について勉強する必要があるのだろう。