心的回転とは? どんな効果があるのか?
心的回転 (メンタルローテーション)
とは、頭の中で物体が回った様子をイメージすること。
こういうやつ↓
最近、注目を集めているメンタルローテーションだが、訓練するとロジカルシンキングとラテラルシンキングが身に付くようだ。
ロジカルシンキングとは、一つの物事を深く掘り下げて考えること。ラテラルシンキングとは、一つの物事を多角的な視点から考えること。
ロジカルは左脳で科学的、ラテラルは右脳で芸術的と正反対に思える思考法だが、共通しているのは、視点の移動。ロジカルは物事を掘り下げる「奥へ、奥へ」と視点を動かし、ラテラルは物事を多角的に見る「この角度から、この角度から」と視点を動かす。この共通している視点の移動を訓練して鍛えよう、というのがメンタルローテーションだ。
「視点の移動」を訓練することで、相手の立場に立って物事を考えたり、自分を客観的に捉える能力を鍛えたいと思う。
半信半疑だが、メンタルローテーションを継続し変化があったら、ブログに書いていこうと思う。
2019/07/15
【参考図書】
メンタルローテーション “回転(ローテーション)脳"を鍛える
- 作者: 池谷裕二
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2019/06/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
努力で積み上がる資産
努力によって積み上がる資産には2通りあるのではないか。
時間の経過と共に償却するものと、しないものだ。
最近はそんなことを考えている。
皆さんは人生でがむしゃらになって努力をした経験があるだろうか?
大体の人にはあると思う。それは、部活や受験、仕事など人それぞれだろう。
私の場合は、中学時代のバドミントンだ。
体罰のあるような部活動で、私は部長をやっていた。当時の休みは年に7日。お盆5連休と、大晦日と元日のみだった。
とにかく、中学時代は「バドミントン上手くなりたい」「上手くなってタイトルを取りたい」という思いで打ち込んでいた。バドミントンの技術を高めることを目的としていたのだ。一定のバドミントンのスキルは身についた中学時代だった。
それから、高校に入ってアルバイトを始めた。大学に入学しても、特にスポーツをやる事もなかった。そして、社会人になり運動不足を解消するためにバドミントンサークルに顔を出した。
遊びでバドミントンをやっている連中に負けるはずがない。地獄のような日々を過ごし、バドミントンに打ち込んできたんだ。久しぶりに打つことが楽しみだ。
そんなことを考えてサークルに行ってみた。
すると、当然だが現役の時のように打つことは出来ない。身体は思いし、シャトルを打つ技術もことごとく劣化していた。
ふと、思ってしまった。
あれだけ打ち込んだのに何も残らないの?
少し悲しくもなった。
それと同時に気付いた。
努力によって積み上げた資産で真に価値のあるものはこれじゃない
確かに、時が経って積み上げたバドミントンの技術は劣化した。
しかし、
・3年間体罰まじりの部活で努力し続けた
・何度も辞めたいと思ったが、こらえてやり抜いた
・素人だった自分が努力を続けることで一定の結果を出すことができた
3年間という時間と、打ち込んだ情熱に裏打ちされた自信は全く償却していない。
この自信があるから、受験に就活、社会人になっても前を向けて頑張れているのだろうと思う。
7年経ってようやく気付いた。時間が経っても償却しないものを手に入れるために努力をしていたんだな、と。
こう考えたら凄く救われました。
店員さんと仲良くなるには?
最近、友達からこんな相談をされた。
「よく行くスタバの店員さんが可愛い。仲良くなりたい。」
その時に、「こうすれば仲良くなれるんじゃない?」とアドバイスをした。それは、皆がよく知っているような常識ではなく、ドラッグストアで4年間アルバイトをしていたからこそできたアドバイスだと気付いた。なので、今回はそれをシェアさせていただく。
店員さんと仲良くなろう
これから紹介する方法は、ある程度は効果が証明されている。なぜなら、コンビニ、スーパー、カフェなどで働く可愛い店員さんと客の立場からスタートしデートした実績があるからだ。ただ、画期的な考え方でもなんでもないのでガッカリしないでもらいたい。
結論は、
店員を接客する
これだけ。
相手が店員で自分が客という立場だと、どうしても「客と店員」という心理的障壁がなくならない。「客」という立場で店員さんと話しても、関係は一向に進まないでしょう。なぜなら、彼らは何十、何百という客と話しているから。魅力的な店員なら、話しかけられてまくっている。この多数の客と差別化をして初めて、店員さんにとっての特別になれる。一般的な店員は普通の客には話しかけない。そして、話しかけられても好意を持って話さない。だから、店員さんにとっての特別な客になろう。そのために、店員を接客する。
理想は、「今日はあのお客さん来てくれないかなー」と思わせることだ。こう思わせれば相手が話しかけてる。話しかけてこなくても、自分が話しかければだいたい上手くいく。
そのために必要な考え方が、「相手の立場に立つ」だ。言葉にすると簡単だけど、案外難しい。イメージしやすいように書いてみた。
(悪い例)
(良い例)
ポイントは、「私はあなたの味方ですよ!」と伝える言動をとること。
大多数の客は、店員さんにあまり気を使わない。レジで「よろしくお願いします。」や「ありがとうございました。」を言う客は店員さんからするとめちゃめちゃ高評価だし、それを堂々と笑顔で言えれば100点だ。
・挨拶をする。
・終始、笑顔でいる。
この2つを徹底している客はまずいない。だからこれをするだけで突き抜けられる。
さらに、
・(小売店なら)お金を出して、「○○円でお願いします。」と言う。(店員からするとタイミングが取りづらいため)
・(飲食店なら)オーダーをとる時に、店員さんが落ち着いてホールを見渡しているタイミングでアイコンタクトをする。(忙しい時に「すいませーん!」と言われるとイライラするため)
とか相手の立場に立てば、客の行動で変えるべき所はかなりある。
相手を重んずることなく、自分の主張を伝えるのは、店員さんにさえ嫌われてしまう。
一事が万事。店員さんに好かれることが出来ない人は、自分の人生の重要人物に好かれることも出来ないだろう。
新☆社会人 -失われた男性ホルモン-
驚いた。
出生から22年が経ち、晴れて私も社会人。
4週間の研修を終えたばかりだが、記念に「社会人になってみて」の感想を文章として残しておこう。
社会人になってみて感じた、悪いことはあるが、良いことはない。強いて言うなら、一人暮らしが自由気ままに生活できて楽しいくらいだ。
まあ、これは社会人と関係ないか。
悪かったことは「男としての魅力が無くなったこと」だ。
一ヶ月も働いていると、さすがに嫌になることもある。
新入社員とはいえ、次々に課題は降ってくる。職場内の人間関係で上手くいっていないところも、なんとなく察してきた。ランチ以外で日の目を見ることはなく、飲み会に参加すれば睡眠時間は6時間を切る。
労働がストレスになってきてるのだ。キラキラした気持ちで入社したのに、すぐにこう思ってきた。驚きだ。
こんなことを考えながら、退社する。その時の自分の顔は恐ろしく「不甲斐ない」。
自信を失ってしまった。「魅力とは自信である。」今の自分には全く魅力が無い。枯れたサラリーマンなのだ。
そう。組織の最下層にいるオスザルはメスを惹き付けるホルモンである、テストステロンの分泌が少なくなるのだ。
以下、藤沢数希さんのブログ引用
たとえ最下層のサルであったとしても、子供のころから勉強して、いい大学に入り、いい会社に入った君たちは、世間の中ではモテるほうではないかと思うかもしれませんが、決してそうではありません。なぜならば、最下層の男子からは、テストステロンというホルモンが急速になくなっていくからです。女子は、このホルモン物質の分泌に極めて敏感で、これがない男にはなかなか股を開かないのです。だから、この男の闘争本能を司るホルモンが抜けた君たちは、本当にモテなくなります。学生の頃はイケメンで意気揚々としていた男も、入社後数ヶ月もすると見事に色気がなくなり、カサカサした魅力のない男になっていきます。会社組織とはそういうところです。そして、居酒屋の店長だとか、引越屋さんのリーダーみたいなテストステロンがもりもり出ている、低学歴で、おそらく君たちより低収入な男の方が、はるかにたくさんの女とセックスをしています。残念ながらそれが現実というものです。でも、現実に耐えてください。なぜならば、耐えることしか君たちには選択肢がないからです。
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51896854.html
藤沢数希さんの仰っている、「男性新入社員はモテなくなる説」を身を持って体感した。
働くストレスと辞めたらお金を稼ぐ手段がなくなる恐怖に飼い慣らされ、このままの状態を続けていても小太りで清潔感のないサラリーマンになってしまう気がした。
これはまずい、と思い即行動。
友達のツテで20代の社会人が集まって、スポーツやバーベキューをしてるコミュニティに入れてもらった。
私はそこで色々な職業の人に混じって、バレーボールをしてきた。
楽しい
楽しいぞ…!!
当たり前だが、出社し仕事に打ち込んでいる、その環境だけが全てではない。少し外の世界に飛び込んでみれば色々な人と出会い様々な体験ができる。
活き活きと仕事をする鍵を見つけた気がする。
できるだけ社外の人との付き合いを増やして、広い世界を知ること。とても重要だ。
身体を動かしリフレッシュすること。テストステロンは、正しい食事と定期的な運動、規則正しい生活によってもたらされる。
連休明けからは、積極的に外に飛び出そう。
この記事をご覧の皆様とも是非お会いしたいです。
一番、重要なのは、打ち込む仕事にやりがいを見つけること。早く実務に入って「人に貢献している」という実感を得てみたいものだ。
愚痴を書いた記事になってしまったが、私と同じように悩んでいる新入社員に届いて欲しい。仕事でもいいし、それ以外でもいい。何でもいいから自分が本気で打ち込めるものを見つけて活き活きと生きて欲しい。
僕と一緒に政治家になりましょう
社会人になり3週間が経つ。
仕事に関することで色々とブログに書いておきたいことはあるが、それよりもまず政治家に物申したい。
仕事に行くため最寄り駅まで歩く。そこで毎朝、政治家が街頭演説をしてスタッフがティッシュを配っている。
これ誰が聞いてんの?
朝、駅に向かう労働者が考えてることは以下の2つのうちどちらかだと思う。
・今日はあの仕事をやろう。楽しみだ!
・今日はあの仕事をしなきゃ。面倒だ!
どちらの考えを持っているにしても、駅前で政治家が演説してティッシュを配っていたら思うことは同じだろう。
うるせえ
仕事の事で頭いっぱいの時に政治家の主張に耳を傾ける人は少ないのではないか。ましてや、朝は余裕がない。どうしても「やかましい」と思ってしまう。朝の駅前は人通りこそ多く、沢山の方にお話を聞いていただける場ではあるが、むしろ通行人にマイナスな感情を抱かせるから逆効果ではないかとさえ思う。
駅前演説は有権者への訴求力が薄いと思ったため、他の方法を考えてみようと思う。
例えば「消費税増税反対!」というスローガンを掲げていたとしよう。
新入社員の私はあまりにも貧困で、給与から家賃を引いた分の8割くらいは消費に回される。消費税が1%増えたら月に1500円ほど負担が増える。年換算したら18000円だ。この差は大きい。消費税が8%から10%に引き上げられたら年間36000円の負担で、手取りの1%くらいだ。
確かに
増税されたら、割としんどいなあ
っていや、気付かんわ!
朝の通勤時間にそこまで考えられないわ!
「消費税増税反対!」と言うと、有権者に「うん、確かにね!」とは思わせられても、「そうなんだよ!消費税が増税したら困るんだよ!まじでありがてえ!投票しなきゃ!」と、思わせて行動を取ってもらえないと思う。
車に乗ってひたすら、名前を連呼するのも売名目的だけど、うざったい。
6割の人は選挙カーは無意味と思っている
https://news.nifty.com/article/item/neta/12225-171025013316/
考えるべきはどれだけ多くの有権者にストレスを与えずに「自分たちの実現したい政策」を理解してもらって投票してもらうかだ。
通勤してる人間に「消費税増税反対!」とか言っても響かないだろう。実際に何かを買った直後の人間に「消費税増税反対!平均的な家庭の可処分所得は500万でこのうち5割消費したら消費税1%あたり25000円だからな!とんでもねえよなあ!!」と言った方がいいと思う。まあ、営業妨害になるだろうけどね。
規制を掻い潜って面白い選挙活動をしようと思っている政治家さん、ぜひ連絡を下さい。お手伝いします。
アドラー心理学 対人関係の悩みを減らそう
この記事はアドラー心理学を勉強したことがない方へ向けて書いている。
皆様も毎日の生活で人にイラッとすることがあると思う。
「友達がウザイ」
「パートナーのここが気に入らない」
「勤務先に嫌いな人がいる」
「家で家族にムカつく」
どんなに尊敬している人でも、嫌いな所の1つや2つあるものだ。私達は日々、誰かにマイナスの感情を抱きながら生きている。
こういったネガティブな感情を少なくして、尊敬と愛を持って周りの人と関われたら、人生を楽しく生きられると思わないだろうか?
それを実現するヒントがアドラー心理学であると私は思っている。
アドラーという一人の人間が一生をかけて見出した真理を、私たちは簡単にネットで学べる。時代の変化は本当に怖い。
そもそも
アドラー心理学とは、オーストリアの精神科医であり心理学者のアルフレッド・アドラー氏(1870~1937)が創始し後継者が発展させてきた心理学の体系である。
アドラー心理学の教えが書かれている「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」の2冊は自己啓発の源流とも称される名著だ。その中で語られることは膨大である。よって、その全てを紹介することはできない。だから、アドラーの教えで最も重要であり実践的な原理原則を解説しようと思う。
五万とある自己啓発本を多読するより、アドラー心理学を根本まで理解する方が、実生活にもたらす恩恵は大きいだろう。
TBSドラマ『私 結婚できないんじゃなくて、しないんです』9話より
まず、最初にアドラー心理学を学ぶと何がいいのか。
それは、「対人関係のストレスを無くし、幸福なる生を実現する」方法が分かることだ。
宗教臭いと思われただろうか?
心配はいらない。アドラーは、自分の人生は自分自身の努力でしか変えられないことを教えてくれる。神には頼らない。
では、本題へ入ろう。
アドラー心理学を学ぶ前に次の2点を理解して欲しい。
1:全ての悩みは対人関係の悩みであること。
2:人間の根源的な欲求として所属感があること。
1:宇宙でたった1人で生きていたら、仕事・家族・恋人・友人・お金のことで思い悩むだろうか。きっと、悩まない。孤独という悩みですら、そもそもの他者が存在しないと、思い浮かびもしない。よって、全ての悩みは前提となる対人関係があるからなのだ。
2:そして、人類200万年の歴史の中で199万年は狩猟採集の時代だった。この時代では、協力して集団を作り食料を調達し子育てをしていた。誰かと協力せずに自分一人だけでは、生き残って子孫を残すといった生物としての役割を全うできない。つまり、共同体を作り上げ分業することは我々の生存本能に刻み込まれている、と考えてもおかしくないだろう。よって、人間には根源的な欲求として「コミュニティの中に居場所がある」感覚、つまり所属感が存在している。
人間は生存・繁殖のために社会を作った。しかし、社会を作ったが故にストレスを抱えることとなったのだ。
※宇宙に一人で生きていても物を食えなきゃストレスだろう、と思った方がいたら、怒らないでくれ。私もそう思う。アドラー氏に聞いてみたい。
この2つを前提知識として押さえた所で、原理原則の解説だ。
対人関係のストレスを無くすには、課題の分離ができればいい。
課題の分離とは、「目の前の課題が誰の課題であるのかを見極め、他者の課題には決して踏み込まないこと」だ。
例えば「勉強する」という課題は子供自身のものだ。課題を放棄して最終的に損害を被るのはその子供だ。それは教師の課題でも親の課題でもない。だから、「勉強をしなさい」という強要するような態度をとってはいけない。
しかし、教師や親からすれば子供には勉強してもらいたい。そういった場合は、他者の課題に「介入」ではなく「援助」という形をとって関わろう。「援助」とは、もし勉強をする意欲が湧いたなら、手助けする知識や経験、お金があることを伝えることだ。
他者の課題を切り捨てることができたら、自分が何をするかは自分の課題であり、それを受けて他者が何を思うかは他者の課題であり自分では操作出来ないことに気付く。
他人の目が気になるのは、課題の分離が出来ていないからだ。
アドラーの教えである「課題の分離」は対人関係のストレスを減らす劇的な方法だから、ぜひ身につけていきたい。
- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/12/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (113件) を見る
- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/02/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (29件) を見る
昔のドラマは面白かったのか
「昔のドラマは面白かった。」
これはよく耳にする意見だ。
皆さんはどうお考えだろうか?
確かに私も小学生の頃はドラマが大好きだった。それから、歳を取るにつれて部活や勉強、交友の優先度が高くなり、ドラマから離れたのだろう。記憶では、自分が小学校高学年(2007〜2008年度)頃のドラマが面白かったから、当然その年は多くのドラマを見ているはずだ。
一体、今までいくつのドラマを見てきたのか?
Wikipediaを参考にし数えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E5%88%A5)
その結果、ちょうど150タイトルだった。学校でドラマの話題に置いてけぼりになる事もなく、かと言って熱狂的なドラマファンでもない私だ。つまり平均的。
22歳男性はだいたい150タイトル前後に落ち着くのではないだろうか?
そして、見てきたドラマを半期ごとに分けてグラフにしてみた。
※再放送で見たドラマは、いつ見たのか定かではないため省いた。
グラフにしてみて驚いた。
小学校高学年がピークになり、それから本数は落ちていくだけだと思った。しかし、ピークは中学3年生の頃で大学生になってからも、それなりにドラマを楽しんでいるではないか…!
私の周りでは、高校入学(2012年)のお祝いでガラケーからスマートフォンに機種変更した人が多かった。スマホの普及に伴い、SNSが流行りだし、YouTubeなどのオンデマンドの暇つぶしコンテンツが台頭した。娯楽の選択肢は増え続ける一方で、テレビに割く時間は減っていったのだろう。高校での話題はSNSに関することが多かった気がする。これに"テレビがつまらなくなった"ことで拍車がかかったのか?
確かに、視聴者からの批判なんかで過激な内容が放送できなくなりバラエティはつまらなくなった、という説もある。放送倫理番組向上機構(BPO)とかいう正義感溢れる団体もいるしね。
でも、今回Wikipediaを参考に見たドラマを数えていて気付いたことがある。
ドラマに関しては、最近のやつも面白いぞ???
私が小学生だった頃の、スーパードラマ「花より男子」「ブザービート」「プロポーズ大作戦」辺りは粒ぞろいだ。
かと言って、大学生のうちにどハマりした「お義父さんと呼ばせて」「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」「逃げるは恥だが役に立つ」「ボク、運命の人です。」も素晴らしい。
「小学生の頃は気楽で良かった」なんていう思い出補正を抜きにして考える。小学生の時に見たドラマも大学生の時に見たドラマもどっちも面白い。もう、それでいいじゃん。
え?学生はずっと気楽だろって?